2009年10月20日火曜日

写真が気になる。





写真という存在が気になる今日この頃。

みなさん、シュウカツという魔物と戦っていますか。
僕は戦ってません。

そのかわり、サーフィンと関わりながら本気でメシを食うにはどうすればいいのかをちょっと模索しています、ガチで。
なんかいいアイデアある?

サーファーの写真とか撮りながらさ、毎日海はいりながら生活できたらいいよね?
写真集とか出してさ、GREEN ROOM FESとかも写真で参加してさ。
Caravanとかと友達になって世界中旅しながら写真撮って。
それいいよね?

なんてふざけたことをガチでね。
そんな妄想をしつつ、シュウカツだの課題だのという現実なんてシカトしてやってます。
ざまーみろ。


でも、写真に残すってことは、記録とか、記憶に残すってことじゃん。
それってたぶんたくさんやった方がいいよね。

家の近所の古い民家がさ、今日通りかかったら跡形もなくなくなってて。
立て替えなんだかわからんけど。
たぶんこの後味気ない真っ白な家なんかできてさ。
北欧風とか、ヨーロピアン風をモダンにアレンジしたようなヤツ。
そんなの鎌倉につくってなんの意味があるのか全然わからん。
そしてたくさんの時代を経て立ち続けた民家なんて忘れられていく。

新しいものをどんどんつくって放って、つくって放って。
記憶になんか残んなくていいんだよね、また次が来るから。
新しいものに乗り換えていけばいい。

時間をかけて成熟させていくものを、情報の量とか、質とかで補おうとしている。


でも、ホントにそれでいいのか?
たぶんそんなことってできない。
だって本質は時間がたたないとわからない。
「認識は事後的だ」っていとうせいこうも言ってたし。

だから、写真を撮って、色んな瞬間を残していくことには、とても意味があると思うのです。

峻もそう思うでしょ?



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