2010年3月23日火曜日

食わず嫌いのお味は?




満員電車の中では本の内容以上にとなりのおっさんの加齢臭が気になってしまうので、
そういうときは読書を諦めて、
Podcastモードに切り替える。
最近聴いてる音楽がマンネリ化してきたので、
iPodはもっぱらPodcastに活躍中。


今日聴いてたのは、
「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」押井守編。
相変わらずジブリ好きやってます、ぼく、なう。
押井さんが「アバターには完敗」っていう発言をしていて、
正直めっちゃビックリした。

3D!?飛び出す絵本なんかに用はねぇーんだよ!!
と言わんばかり勢いで、
全世界興行収入第1位に加担するのもイヤだからまだ観てないんだけど、

押井「3Dなんてのはどうでもいいのよ」
‥‥なに?
そこが本質じゃなかったのかよ?

押井「そうじゃなくて、アメリカ人があの映画をつくったということがスゴい。しかもCGで役者と同じ地平の演技をさせることに成功し、技術で廃れる要素をすべて細かく潰し、クオリティに転換させている。仮想現実であればあるほどリアリティが伴っていく。今の僕にはこれはつくれない」
‥‥ふーむ。

押井「飛行シーンはスカイクロラやナウシカを含めて、これまでのどの映画よりも良かった。キャラクターのデザインも含めて“飛ぶ”という物理的な空気感をとても上手く表現していた」
‥‥ぬーん!


俺もこの前まではたくさん映画観て、
批評をビシッ!っとノートに書きなぐっていたのに。
少し時間が空くと、人の批評に圧倒されちまう。
押井さんが解釈するとこんなに面白そうになるんか。
TVCMじゃ一瞬たりとも魅力的に感じなかった‥‥。
やいやい!
もっと上手く宣伝しやがれ!


と、宣伝に責任転嫁してもいいんだけど、
やっぱり俺にもまだまだ食わず嫌いのフシがあるんだよなー。
食わず嫌いって一番カッコ悪いよね。

けど食ったにしろ、食ってないにしろ、
実は両方あんま違わない側面もあって、
それが「わかったつもり」じゃないかな。
アバターは食わず嫌いで観る気ないのに、
押井さんがちょっと評価だけで途端に見たくなる(もちろん押井作品は大好きだけどメチャクチャ詳しいわけじゃない)。
「どーせつまんないでしょ」とわかったつもりになり、
「絶対面白い!」とわかったつもりになる。
食ったことないものの味がわかるのは、
今までに食ってきたものから何となく味を想像することができるから。
それはそれで大事なことなんだけど、
けどいくら想像しても、腹は減っちゃうからね。

じゃあ「ちゃんとわかった」状態ってなんなの?って話になると、
多分そんなものもない。
神様じゃないんだし。
たぶんピッタンコはないけど、
限りなく近い場所までなら絶対行ける。
そこににじり寄って行くことかなと。

そのために必要なのは、
こっちの道だ!この先だ!と、
「思い込む」こと。

人間は思い込むことで先に進む。
けど「わかったつもり」も「思い込み」の一種じゃん。
じゃあ結局なにが大事なのかってなると、
わかりにくいようで意外と簡単なことの気がする。


Podcast内で、
押井さんの『勝つために戦え!』が紹介されてて、面白そう!
ぜひ読んでみっぺ!

俺は多分、
「コレ旨いから食えばいいのになー」
みたいなことを言いたがりのタチなんだなー。
おせっかい野郎なんだよねー。
それが仕事にならねーかなー。


鈴木さんは押井さんの発言に対して、
「でもあれは明らかにナウシカにインスパイアされているよね!」と嬉しそうな口調で語っており、
それを聞いた押井さんは、
「そんな評価にはなんの意味もない!」と怒り口調で反発。
この後ふたりはまるで小学生のような意地の張り合いにも似た口喧嘩を展開していくw


大体のグルメレポートはしておいたんで、
続きはぜひぜひPodcastで。
食わず嫌いせずにー。

あとはツイッターもね

2010年3月17日水曜日

Life is Teriyaki Burger



前回、ホイットマンを読んでからというものの、
そのあとに俺が読んだ本はといえば、

村上春樹『アフターダーク』
岡崎京子『Pink』
新渡戸稲造『武士道』


なんなんだ、この共通性のなさは‥‥。
女子大生とOLと武士が、共存している。
「愛」や「セックス」や「資本主義」や「義」や「勇」や「礼」が隣同士にいる。

それが読書なんだよなー。
面白いよね。
現在の僕は乱読派です。
あっちいったりこっちいったり。
ビジネスやマナーとしてはどうかと思いますが、
幸いなことに読書の世界ではそれを嫌がる人はいないからね。




最近思うことは、
いつかブックショップをやりたいなってこと!
もちろん海の近くで、
朝は海に入りながら、
古今東西あらゆる本を店内に巡らせて、
CDも映画もTシャツも並べて、
変なセカイをつくりたいんだよなー。

俺がそれをできるのが30歳のときとして、
その頃にはほとんどの本が電子化しているかも。
本棚なんてものがマイナーになっているかも。
混合型の本屋なんてありきたりなのかも(今ですらビレバンだのABCだのあるし)。
そもそも店舗なんてものが古いのかも。
先を予想すればいくらでも問題があふれてきそうだけど、

やりたいんだよねー。
自分の夢を、
世界中の人が観れる形で発信しちゃうぞ。
日記帳に書くだけじゃないぞ。

けどけどこれは、
まだまだ想像。
どんどん創造につなげていきたい。



Shunnybobが言ってましたよ。
「すべての創造は想像から始まる」って。

クリエイターなんて言葉は捨てれば言いわけですよ。
デザイナーなんて言葉も捨てれば言いわけですよ。
誰もがそうだもん。


色んな要素は揃っているし、増やせる。
幅允孝さんみたいに自分の職業を自分でつくってしまえるんだよ。
坂井直樹さんみたいに自分で肩書き考えればいいんだよ。
しかも日本人はそれが得意!なはず。
素材を調理するのが上手いんだよ。

イタリアからパスタがやってくれば、それにたらこ加えて箸で食べちゃうような人間だもん。
ハンバーガーがくれば、照り焼きはさんじゃうわけ。
もはや今では外国に行けばメニューにTeriyakiだぜ?
コードを外国から取り入れて、モードを日本なりに変換していく。
そのためにイメージをマネージする。
この先に興味がある人は、
松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』オススメしまっす。



人生はたらこスパゲッティである。
人生は照り焼きバーガーである。





そんなこんなでこの日記で俺が言いたいのは、

Twitter始めたってコト。
ようやくですが、
フォローしあいましょい。

2010年3月12日金曜日

ホイットマンだ!




詩集も「本」というハードウェアであることがとても重要な気がする。

文章の連続ではなく、文節の協奏。
もちろん文脈はあるのだけれど、まぁどっから読んだっていい。
だったらいっそのこと新しいハードを詩集のために考えたっていい気もするけど、
『ライ麦畑でつかまえて』のとなりにも、
『敗れざる者たち』のとなりにも、
『世界はわけても分からない』のとなりにも、
広辞苑やBRUTUSや日記帳のとなりにだって、
スーッとおさまっちゃうところが、
「本」なんだよね。
ひとつのハード、多様なソフトなわけで。





というのも、ウォルト・ホイットマンなわけですよ。

彼の詩集を読んだわけですよ。


僕とホイットマンの出会うきっかけは犬式。
現在進行形のミュージシャンに100年前の詩人を紹介してもらったのは初めてだ。
曲中にホイットマンの「草の葉」第32節が引用されているのだけど、
こんな詩だ。


私は身を動物に変えあのいつも穏やかで独立独歩の動物たちと共に生きられればと思う。
私は足を停め、長い間いつまでも動物たちをみつめる。
動物たちは自分達の在るがままの現在にぐちをこぼさず、また骨を折ってあくせくもしない。
動物たちは暗闇の中で目を開いたまま横になって何かを罪に泣くこともない。
動物たちは、神に対する義務について討論して私をうんざりさせもしない。

一匹として満足せぬは無く、一匹として蓄財に熱中するあまり狂乱状態になるものも居ない。
一匹として他にひざまずかず、また数万年を生きながらえてきた種族の流儀に盲従するものも居ない。

そしてこの地上の何処にも一匹として社会的地位のあるものはなく、また不幸をかこもつものも居ないのだ。



かっこよすぎる。
詩集におさめられた33篇の詩を読んでみるのですが、
彼の生きた時代背景や、宗派や、人生のプロセスなんて全部置いといて、
まず空っぽの状態で。


彼は「矛盾」を生きた詩人であり、武装して戦う詩人でした。

矛盾しない限り、重荷を背負わない限り、
豊かになれないことをホイットマンは理解していたんだなー。

「眠る人々」という詩の一節で、
狂気にやはり正気の面倒をみさせよう!
と詠うのだけど、
このスイッチングができるのは矛盾を許容していない限り不可能だよね。

私についてこい という詩がある一方で、
君は、私が信頼に値し誠実であると思っているのか? などと、
まるで反対の言葉。
言ってることもバラバラなようなんだけど、
そもそもひとつにまとまっていくこと自体にどこか怪しさがあるのだ。
それは何周もしないと辿り着けるわけがないのに、
20歳そこそこで「何があってもスマイルスマイルー!」
に至るわけがないのだよ。
もちろんスマイル大切だけどね。

人間こそ、
ひとつのハード、多様なソフトなわけで。



みんなが大好きなミスチルだから俺も好きなんじゃなくて、
それじゃみんなと俺の関係性じゃん。
そうじゃなくて、俺とミスチルの関係性から好き嫌いになるしかないんだから、
注意すべきは、俺がオススメするからホイットマンはいい詩人ってわけじゃないんだよ。
紹介しといてなんだよっていう感じだけどw

ただここでホイットマンとみんなに関係性が始まるのなら、
俺がブログに書いたことにも価値がありそうなわけで。
その関係性は、どうぞ自分でデザインしてください!




とりあえずやりきろうとカラ元気してみたシュウカツに対する俺のモチベーションが、
気づけば読書、映画、サーフィンに支配された生活。
いかんいかんと思いつつも、
スーツを着ることへの茶番さが消えない、、、。
どうしたもんでしょうか。
これから面接なのに、
ホイットマンへの思索をめぐらせているっていう。