2009年10月26日月曜日

こんにちは地球さん


3限の授業を聞く気になれず、2限終わりで帰宅し、すぐに海へと向かった。

迷走台風のせいか、それなりにサイズのあるうねりがやってきていたからだ。


鎌高前で入る。
割れづらい波が目立つのでロングボードで。

次第に潮が引き始めて、サイズも上がってくる。


はるか何千キロの彼方から、旅をしてきたうねりたちが沖からやってくる。
海中に恐竜でも泳いでいるんじゃないかと思えてしまうような、そんな恐怖心を感じる。化け物が沖からやってくるのだ。
そして彼らが鎌倉のリーフにぶつかって見事な三角形のブレイクをつくりだす。
そこの、長い旅を終えるほんの数十メートル手前で、ちょっとだけ乗せてもらう。

テイクオフした瞬間に、足の裏から一気に全身へと、波のエネルギーが伝わる。
ある種の金縛り状態のようで、このまま俺の体もサーフボードも溶けて、海の一部となれたらどんなにいいのかと本気で思ってしまう。

オフショアの風は吹き止むことを知らず、かたまりのように僕の体にぶつかってくる。
速いスピードで流れる雲は空一面を覆い、太陽は姿を見せない。
このまま雲が落ちてきて、全部壊してしまえばいいのに。
降り注ぐ雨や風で、僕の体温はどんどん奪われた。
寒い。寒い。寒い。
少しテイクオフのタイミングを間違えれば、すぐにワイプアウトしてしまう。
そして水中で、ミキサーにかけられる。

海は何も容赦してくれない。
それは冷たいようで、とてもあたたかいようで。

サーフィンをしていると、本当に地球と会話しているような心地になる。
いや、たぶん実際にしているのだろう。
この星に生まれたことを、本気で感謝する。

こうやって、喜びを感じれることは、この世で最も尊い感情なのかもしれない。


2009年10月25日日曜日

BCCKS

BCCKSという、ウェブ上に本を作れるサイトがあるんだけど。

そこでlittlemoreBCCKS写真集公募展というのをやっている。

簡単に言ってしまえば、ウェブ上にそれぞれが写真集を作って応募し、大賞になればそのまま出版できるというもの。
本としてまとめて応募するわけだから、いくら写真が上手くても、それを自分で構成し、レイアウトやページ数を決めていくわけだから相当難しい。


そんなものに、僕も応募してみた。
タイトルは『MIZUGIWA』。


普段はあまり統一性のない写真を撮るから、今回ひとつの写真集にまとめるのはとても難しかった。
そのために全体をモノクロにして統一感を出した。
ホントはカラーにしたかった。
モノクロにすることで失われることもたくさんあるが、迷ったあげく。
けどまとめてみると、自分が撮ってきた写真の少なさに身動きが取れなくなる。
ここはもっと雰囲気のあるやつを持ってきて、、、ってそんな写真もうねーよ!
みたいなことばっかりw

もっと撮ろう。
シャッターを押した数だけ上手くなろう。


ぜひぜひ見てください。
そんでもって感想聞かせてちょ。
ちなみに他の作品を見てみるとわかると思うけど、とてもレベルが高い写真集ばかり!
どれも本屋さんに並べられていてもおかしくない気がしてくる。
こんな中からたった1冊だけ出版、、、きびすぃー

けど、こんだけの人が写真をマジで撮ってる。

たった1枚の静止画。
それはとても少ない情報量かもしれない。
けど、だからこそ俺たちは、創造する。

そこに写る景色から世界を見る。
そこに写る人から鼓動を感じる。
そこに写る瞬間から音を聞き取る。

写真とは生涯付き合っていくに違いないだろう。




ちなみに、昨日「紅の豚」を改めて観て、もうあっぱれでした。
平成のポルコ・ロッソになるべくがんばります。


そして、こんなステキな歌も。

2009年10月20日火曜日

写真が気になる。





写真という存在が気になる今日この頃。

みなさん、シュウカツという魔物と戦っていますか。
僕は戦ってません。

そのかわり、サーフィンと関わりながら本気でメシを食うにはどうすればいいのかをちょっと模索しています、ガチで。
なんかいいアイデアある?

サーファーの写真とか撮りながらさ、毎日海はいりながら生活できたらいいよね?
写真集とか出してさ、GREEN ROOM FESとかも写真で参加してさ。
Caravanとかと友達になって世界中旅しながら写真撮って。
それいいよね?

なんてふざけたことをガチでね。
そんな妄想をしつつ、シュウカツだの課題だのという現実なんてシカトしてやってます。
ざまーみろ。


でも、写真に残すってことは、記録とか、記憶に残すってことじゃん。
それってたぶんたくさんやった方がいいよね。

家の近所の古い民家がさ、今日通りかかったら跡形もなくなくなってて。
立て替えなんだかわからんけど。
たぶんこの後味気ない真っ白な家なんかできてさ。
北欧風とか、ヨーロピアン風をモダンにアレンジしたようなヤツ。
そんなの鎌倉につくってなんの意味があるのか全然わからん。
そしてたくさんの時代を経て立ち続けた民家なんて忘れられていく。

新しいものをどんどんつくって放って、つくって放って。
記憶になんか残んなくていいんだよね、また次が来るから。
新しいものに乗り換えていけばいい。

時間をかけて成熟させていくものを、情報の量とか、質とかで補おうとしている。


でも、ホントにそれでいいのか?
たぶんそんなことってできない。
だって本質は時間がたたないとわからない。
「認識は事後的だ」っていとうせいこうも言ってたし。

だから、写真を撮って、色んな瞬間を残していくことには、とても意味があると思うのです。

峻もそう思うでしょ?



2009年10月7日水曜日

It's all because of you.

ブログを始めることにした。
自分の領域が必要だなと感じたからだ。


たくさん情報があるし、どれも正解であり、不正解。


そういうものの外に出ることもできないし、内側に入るのは暗示の中に入っていくようなもの。




ブログを始めると、俺もその情報の一部になれると思ったから。
誰が見るかわからないし、誰が影響を受けるかも、受けないかもわからない。


けど、情報だの、社会だの、そういうものに犯されるのはつまらない。


じゃあおんなじステージに入ってしまえばいいんだと思ったわけで。


人間が最も美しいと思う瞬間は、なにかを生み出した瞬間。
俺もそうありたいと常に思う。
なにかを生み出しても、今すでにあるものを超えられないかもしれない。
だって世界はとても美しい。そうだよね?
人間がつくるものなんか、どうでもいいくらい美しい。
だから、なにかをつくっていきたい。



かなり自分勝手な意見を書こうと思う。

ひと昔前なら、自分の日記にだけ書いて人前にさらされることのないような中身が、今は世界中の人が見られるなんて!
コミュニケーションは濃厚になったのか?希薄になったのか?




でも俺が生きる上で、誰かから受ける影響はホントに大きい。
たぶん俺は、そういった人々の一部分を編集してかき集めたものだろう。
そんでもってほとんどの人間自体、そういう生き物だと思う。
オリジナルがないってことじゃなくて。
その編集方法がオリジナルだということ。


パッチワーク人間。
それで映像つくれそうだな。



俺をつくったのは、他のだれか。



It's all because of you !!



次回はもっと面白く書こうw