2010年12月14日火曜日

事故的シンクロ



 誰も狙っちゃいないはずなのに、絵に描いたようにあらゆるものが同調し調和していく瞬間ってのがある。シンクロニシティ。最近それが、少し恐いくらいに多い。昨日の円卓もそうだった。まだ興奮冷めやらぬままテンションで書いているので、なんのこっちゃと思う人もいると思うけど、まぁ簡単に言えば飲みの席でメチャメチャ盛り上がったってこと。ただそれだけ。でも今じゃそんな何気ないことの中にこそ、鎮守の森へと育つ小さな芽が潜んでいる気がしてならない。



登米で一度だけお会いした佐藤さん(@satoshi__sato)とtwitterで「メシ食いましょう」みたいなメッセージを取り合ったのが始まりだった。何気ないコミュニケーションのひとつ。

そこに佐藤さんの友人である菊地さん(@Tats_Kikuchi)が加わり、

偶然トシ(@Toshi_nouM_nouL)が東京に来てて交ざり、

さらに中野案内をしていたリュウ(@KurokawaRyu)が加わって気づけば志士5人の飲み会に発展。ほとんどみんながみんなを知らない。全員見たことあるのはトシだけ。


しかしそもそもスタートからなんか違った。松丸本舗に集合したら、たまたま取材で松岡さんが来店してたのだ。俺の中では店主閣の日以来の雰囲気が店内を包んでいた。棚の反対側にいても伝わっているオーラのような妖気。ただ松岡さんがいるだけなのかもしれないけれど、「何かありそう」な雰囲気だ。松岡さんの著書を以前から読んでいた佐藤さんと菊地さんはいきなりのサプライズに嬉しそうだったし。俺もトシに松丸を少し案内できてよかった。

しかもちょうど松丸の新企画「クスクス贈りマス」の初日。日本における本を贈る文化の出発日に居合わせた。これもなにかのシンクロ。


そこから銀座に移動して千と千尋の油屋みたいな酒場で円卓を囲んで、ビールと焼酎が入り始めればもうみんなスイッチオン。誰もが思ってもいなかったくらいアツいトークが繰り広げられたのだ!




色々な話が飛び交って忘れてしまった内容もあるけど、今なお俺の海馬にベッタリとこびりついているネタといえば、


・原発か自然エネルギーか。あたかも対称に見える因果関係だけで世界は動いていない。エネルギー全体の根底を探っていかないと環境問題もなにもかも解決は有り得ない。


・日本は白と黒が隣り合わせに同居できる国。一神教では2色だけを遠くに置くしかないけど、日本ではそれがビットマップのように連なっていて俯瞰でみればグレイに見える。


・日本はノウハウはたくさん持っている。しかしショウハウ(見せ方)を持っていない。だから大きなコミュニケーションの渦にまで発展していかない。個々の要素だけみればとても優秀で魅力的。


・俺らの世代がやるべきことは「交ぜる」こと。分けつくされた世界をもう一度結びつけて再構築すること。つまり編集。コミュニケーションをディレクションするのだ。


・焼き鳥を見てもニワトリが見えない。切り身と生身のあいだがまったく見えなくなってしまった。グーグル検索的なものが蔓延って、そこにある物語がなくなった。物語こそがもっとも大事であり、これからはそこに価値が生まれてくる(元々は当然のようにあったのに!)。


・情報やメッセージにはそれを担保し責任を取れる特定の個人が見えるべき。そうすればウソやホントにうだうだ言うつまらない議論はなくなって、リコメンデーションが次の情報価値をつくっていく。


・月がきれいですね(by夏目漱石)。


・今や僕たちは、立場や年齢や国籍も関係なくアイデアひとつカバンに入れてあれば仕事も遊びもこなすことができる。




不思議なくらい、これらのトピックが全部いま俺の興味があることだった。交ぜる話と物語の話なんてどストライクもいいとこ。

けどちょっと冷静に考えてみれば単純で、俺に興味があって好きだから覚えていたんだな。脳科学的「好きこそものの上手なれ」だったよな、海馬は。


他にもキーワードとして

pass the baton

遠山正道

河は眠らない

マルチツール

馬と共存できる社会

TED

Dropping knowledge


などなど出てきてたかな。ちょっとでも引っかかる人はまたこっからシナプス広げていきましょう。



もちろん飲みの席なので、会社のプレゼンみたく喋る内容をバッチリ用意したりはしてない。なのに1人の話が次の話題を呼び込み、次のネタを足して、焼酎を掛けて、最後にそれを人数で割ってと、、、完全に「Tokyo Times」状態。感じていたのは俺だけかもしれないけど、会話の中でどこか「次は俺が話すぞ」みたいに自分を刀を振るうタイミングをみんなが狙いまくっていたような気がする。俺が話そうとした瞬間、出だしがカブって、でも勢いで俺が黙っちゃってみたいな笑



本当にあらゆることがつながっている。職種も立場も世代も違えど、時代を通して真ん中にひた走る「なにか」を掴んでいる(もしくは掴もうとしている)者同士だからつながれる。円卓の真ん中には確かにそんな宿り木のようなものがあった。俺はそれが「方法」や「物語」だと言い換えたい。



もっとあらゆるシンクロを起こしたい。事故的に色んな人と肩を組みたい。

そして発信していきたい。

2010年11月27日土曜日

院内会議とディスコミュニケーション

一昨日、祝島の原発建設に関する院内会議が永田町にある衆議院議員会館で行なわれたので参加してきた。

永田町や国会議事堂前、小学6年の社会科見学で来たくらいの記憶しかなかったので日本の政治中枢に行くことがちょっと新鮮だった。



議員会館は国会議事堂の裏側にあるのだが、その前の通りでは何組かの団体がデモをしていた。日中問題や尖閣諸島、辺野古米軍基地などデモ人数も対象も異なるが、それは確かにデモだった。声を合わせて自らの意思を国会の背中に向かって叫んでいる。もちろん、うんともすんとも、国会はリアクションをしない。ましてや議員らしき人の影なんてない。本会議中だったらしい。もう慣れたかのようにその様子を見ながら平然と周囲に立つ警察官。通行人も彼らに気を止める人はほとんどいない。道の反対側では国会見学ツアーだろうか、オジさんオバさんが列をなしてペチャクチャ話しながら行進してる。

俺が知らないだけか、そもそも知らされていないのか。普段から生活していて人々は互いに様々なテンションがあることを感じるが、こんなにも断絶されているとは思わなかった。なんだか今の日本は、単一民族であり(これは語弊がある?)、均一の言語を扱う共同体であるはずなのに、ここまで共通意志を持たず、悪い意味で意識のるつぼ状態になっている。ミックスされた文化ならまだしも、互いの色が絵の具のように交わることなく肩身を狭くしながら目を閉じている。渋谷のギャルも、秋葉原のオタクも、新橋のサラリーマンも、銀座のセレブも、下北沢の売れないミュージシャンも、みんないるから日本は魅力的だ。けどそれが、俺には完全に断絶された個々の孤島で生活しているように見える。対岸へと泳いで渡る人はあまりいない。



そんな様子を前にいきなりドキドキしながら、歩いていくと議員会館が見つかった。とてもきれいで広い建物。通行パスを受けとって会場に到着した。入り口で受付に名前を書くと早速スタッフの方に声をかけられた。

「どうしてこの会議を知ったの?」

「以前にも参加したことはある?」

新顔であることは勿論だが、みなさんの気を引いたのはそれよりも多分俺の若さだろう。最終的には80人ほどの参加者がいたそうなのだが、20代と思われる人はほとんど見当たらなかった。人の年齢を当てるセンスはあまりないが、それでも上関原発反対運動をしている人達は、みなさん40代〜50代くらいに見えた。




今回の院内会議の主催者であるDAYS JAPAN編集長の広河隆一氏の話が始まる。

俺の知らない単語も多々あったが、それでもわかりやすくかつ広い知識を分散させながら進めていた。原発の危険性を示すスライドはやはりチェルノブイリでの被害を例に。

話の途中で広河氏がさらりと言った。


「加害者は被害を隠す。それはフォトジャーナリズムの鉄則です」


たぶん誰かの言葉を借りたわけでなく、長いジャーナリストでの活動の中で経験としてわかったことなのだろう。

その言葉自体は俺も知っていた。けど「鉄則です」と自分の口から言い切る自信はない。鉄の法則だ。それくらい頑丈な嘘と隠蔽が蔓延っているのだ。

しかもなにがイヤだと言えば、原発の安全神話という全くもって幼稚な嘘のつき方を中電などの電力会社はしているのだ。前回のブログでも書いたが、手榴弾のピンに指のかかった状態で「僕の指は動かさないんで大丈夫ですよぉ」なんて言ってる。それはもはや反対運動者への軽蔑の思いがあるのではないか。




質疑応答の際、意外と誰も手を挙げないので初心者の俺が質問をした。

内容は“なぜそんなにも電力会社は原発推進に固執するのか”と“それらが大手メディアで報道されないのか理由”のふたつ。俺以外の参加者にとってはすでに共通認識だったらやだなぁと思いつつ。


広河氏はまず前者に対して、原発という利益生産システムがポイントであると述べた。原発の場合、材料生成から運搬、建設に至るまで全てのプロセスで電力会社は利益を生み出せるという。一方自然エネルギーは個々人で自給が可能であり、材料費はほぼタダ(らしい。原発と比べればということかな)なので、これで電力会社が儲かるシステムはまだないのだ。つまりすでにあるプラットフォームから新たな開拓もしたくないぞと。俺たちはこのまま変化もせずに殻にこもって天から舞い降りる万札を頂戴しつづけるぞと。ちょっと言い過ぎかもしれないがそう思った。


後者の質問に対する答えはもっと虫の好かないものだった。大手メディアの大株主に電力関係の人が多いから、だそう。株主ね。また新たなワードの出現。株主様々がイヤと言えば報道規制ですか。俺らが知らないまま闇に消えた事件はいったいあといくつあるのだろう。


けどメディアはちょっと違うぞ。もうミドルメディアと個人メディアが強い。いくら隠そうとしても、現場に居合わせた人のつぶやきがリツイートされていけば一瞬で数万人のタイムラインに載る。いつまで株だのと言っているのだろう。UstやDOMMUNEやブログを規制できるか?



てか、電力会社の人の話が聞きたい。俺の想像とどれくらいずれているのか、そして俺や原発反対派のの批判をどのように受けとっているのか。




帰りがけにまたスタッフの方に声をかけられ、

「いやぁいい質問だったよ」

「若い人がもっとこういう問題に取り組んでほしいなぁ」

などなどと少し話をしてくれた。


このとき俺が思ったのは、若いって素晴らしいな、ってことじゃない。いや、少しは思った。チヤホヤされるのも今のうちかなぁなんて。

けどそれ以上に、今このディスコミュニケーションの原因として、確実に存在するのは、若者たちの無関心さだ。若者って言い方は好きじゃないな、なんか別の呼び方がほしい。今じゃその言葉自体になんかもうすでに悪性がある。

勿論それだけじゃない。カネ欲しさで血眼になりながらこの世の歪みをさらに強める上層のオヤジどもがいることも確かだろう。ただしそれは今の俺にとって、実在する人物では知らないし正体もまだ未知だし知らないことも多い。そんなヤツらは嫌いだが、ヤツらを倒す刀はまだまだ研ぎ足りない。

そうでなく、オヤジがエラそうにできるのはその下の世代がもうしんどくなっているからだ。利権と意地の張り合いに付き合わされるくらいならいっそ離れちまったほうがラクだといって、どっか別の島に移住してしまっている。

その気持ちもわかるんだ。俺だって原発反対なんてしてないで、日本全国さっさと自然エネルギーに切り替えて、食や水も自給して、日本文化やサブカルや映画の本でも読み漁りたい。ぶっちゃけ、ね。

けどそういうわけにもいかない。特に俺は波乗りが好きだから、原発の工業排水は海洋生物だけでなく海に入る人間にも悪影響を及ぼす。遊び場を壊されるのはゴメンだ。



人間ってのは万能じゃない。すべてを網羅できない。

だから世界をある程度分けて、その中で思考の方法を見つける。その抽出した方法で世界を見る。分けること自体は問題じゃない。メシ食うときも、腹に入れば一緒だからって、みそ汁とご飯と野菜炒めと牛乳と納豆を全部同じ器にごちゃ混ぜにして食べない。それぞれがそれぞれの器に盛られているから、そこには関係性が生まれ、調和が生まれる。「和」と「輪」をなすのだ。


けど、今はあまりに世界を分けすぎた。

この話をしびれるくらい美しく話すのはやっぱりなんと言っても

分子生物学者の福岡伸一さんだろう。

『生物と無生物のあいだ』を読んでいただけるのがいいと思うが、

なんとなんと、Podcast「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で福岡伸一さんの講演の回がある。本は苦手だという人もこっちなら、

・音声で聴ける。

・もちろん語り手は実際の本人

・尺もわずか30分弱

と良いコトづくし。今まで通勤通学で聴いてた音楽アルバムを、今回だけはこっちに持ち替えて移動時間を過ごしてみて!ホントに美しいんで。俺はもう一字一句覚えちゃる勢いで聴きまくってる。



最後は福岡伸一さんの紹介みたいになってしまったが、でもそういうことなのだ。

世界はあらゆるところで繋がっている。

祝島近辺の漁場が汚染され低濃度放射能が排出されたからといって、関東に住む俺たちが安全だといえる根拠はなにひとつない。

因果関係なんて森羅万象。

2010年11月24日水曜日

祝島について

瀬戸内海に浮かぶ祝島(いわいしま)を知っていますか。



今年は瀬戸内芸術祭でこの地域はかなり話題になり、

中には実際に訪れた人もいるでしょう。


しかし、その中で祝島を訪ねた人はあんまりいないかと思います。



ちなみにですが俺は祝島に行ったことありません。

しかも最近まで存在も知らなかったし、

今回問題意識が芽生えたのですが、

その詳しい話も全然わかりません。

発端は大好きなミュージシャンの1人である

三宅洋平さんのブログやtwitterを通して知っただけです。

(彼のブログもオススメ。劇文のオンパレードです。

http://blog.goo.ne.jp/nbsa-inushiki/


浅はか知識しかないですが、共有したい。

こっから先はあくまでも俺の持ってる知識であり意見であり、

当然俺のバイアスもかかってます。

文句がある人はぜひぜひ。



その問題ってのが何かと言うと、

「資源(エネルギー)」についてです。



祝島は生物多様性と原発建設の間で、もう28年間も揺れ動き続けている島なのです。島民の人々は自分たちで豊かな自然の一部を頂戴しながら、食料を中心とした資源を自給する生活をもう長い間続けている。一方現在、島ら4km離れた場所に原発建設計画を中国電力が進めていて、大規模な電気エネルギーの生産が可能になる代わりに生物多様性は失われる。中電は原発建設を認める対価として市民に支払う交付金なるものを強みにしている。地元のみなさん、お金やるから漁業も自然も崩壊するけど見ないことにしといてくれよ!っていう理論らしい。


俺はまだ観ていないですが、

洋平さんにもtwitterで勧められた祝島に関する

衝撃的な映画が2つあるので、

ここに予告編だけ載せておきます。

ぜひぜひ観てください。

どちらも3分ないです。

夜食のカップ麺を待つ時間で観られます。



「祝の島(ほうりのしま)」



「ミツバチの羽音と地球の回転」


おいおい、なんじゃこりゃですよ。

北朝鮮と韓国の軍事国境線、確かに問題ですよ。

けど俺にはこれが日本と思えないくらい、

完全に今なお僕らの母国が戦争状態、

いや少なくとも戦闘モードであることが鮮明に映っている。


田舎での暮らしなんて、まったりそのもので、

「都会は人が多くてイヤやなぁ〜」なんてぼやきながら

スローライフを満喫できるとばっかり思ってた。


祝島では戦艦のように自分たちの漁船を並べて行く手を阻み、

ハチマキを巻いて声を張り上げ、

怒りの列をなして行進しているなんて。

衝撃的でした。

こんな大事件が俺はテレビを通して報道されているのを観たことがない。


祝島だけじゃない。

中国に対する渋谷、六本木、秋葉原等でのデモを報じない

マスメディアのセンスもなかなかだ。




日本はこのエネルギー時代である21世紀において、「安全」をひとつのフレーズとしながら、原発の拡大を進めている。もちろん原発の事故といえばチェルノブイリを世界は忘れるわけがなく、その危険性は計り知れない。また同時に日本は地震大国であり、静岡県の御前崎にある浜岡原子力発電所に至っては、活断層を直下に敷きながらつくられている。もし巨大な東海地震が起きたらどうなるのか。未だ世界のどこを探しても前例はない。ちなみにどこの出典データかはわかりませんが、30年以内に東海地震が起きる可能性は87%だそう。

言い換えると、「30年以内にチェルノブイリ以降世界がまだ体験したことのない原発事故が日本で起きるとしたら」


手榴弾のピンに指がかかった状態を「安全」といえる

日本のセンスもなかなかだ。




一方海外では、特にスウェーデンだと思うのだが、電力の自由化が国民投票で決められている。個人レベルなのかはわからないが、自分の使いたい電力資源を自分達で決められるのだそうだ。こんなの日本じゃ考えられない。うちのテレビや冷蔵庫が、このMacbookが、どこの発電所でなにを原料につくられたものかなんてわからない。火を燃やそうと太陽光だろうと核融合だろうと、おんなじ電気ならなんでもいいやって感じだ。


けど、ホントにそれでいいのか。

近い将来、田舎や百姓の人に限らず、自分のエネルギーは自分で自給しなければいけない時代がくると俺は思ってる。少なくとも自宅に太陽光パネルとEV車が導入され、自家発電をして余った電力をシェアすることになるという話はたくさん聞いた。これからは更に食料や水や娯楽も自分たちで自給せよと高城剛が言っていて、それについては長くなるのでまたいつか。とにかくエネルギー問題はもうスルーできないのだ。



きたる11/25()12:30から、

「ジャーナリスト・文化人・表現者の目から見た祝島と上関原発計画地」という祝島についての院内会議?というのが衆議院であるそうです。一般の人も入れるということもあって、さらに俺はちょうど予定も空いているということもあって、参戦してこようと思います。予定が合う人がいれば、ぜひぜひ会場で会いましょう。

ちなみにこの会議の存在も洋平さんのツイートで知りました。いやぁメディアってまさに変化している。マスメディアが社会の観察者であり、ある種のジャッジであるなんて大嘘。おまけにマスメディアが民意を汲んでいることも、民意を形成していることも、多分嘘だろう。


以下が院内会議の詳細URL

http://kaminoseki.blogspot.com/2010/11/1125.html


ちなみに前に載っけた映画二本も、

今全国を巡回しながら上映しています。

12/22に藤沢に「祝の島」がやってくるので、

とりあえずそこは100で観に行こうと思ってます。



考えるきっかけになったら嬉しい、とは書きません。

なんだかきっかけづくりに盛り上がりすぎてる気がする。

入り口のドアのとこ立って、

「うあぁ、ヤバいなこりゃ」っつって、

トコトコ歩き去っちゃう感じ。

きっかけ、じゃなくて、

さらにそこから2歩も3歩も踏み込みたい。

そんなテンションでまた祝島関連のブログも書いていきたい。


ちょっとだけ踏み込んじゃってる状態って、

「エラそうに理論だけは言えるけどなんもしてないヤツ」

になる危険性と完全に背中合わせですが、

それも越えられるように、ね。



間違っているとこ、さらに知っておくべきこと、

などなどありましたら教えてください。

2010年10月12日火曜日

NAKIさんのチカラ





昨日はApple Store 銀座にて、サーファーNAKIのトークライブに参加。


いやぁ俺の似合わない街だこと。

と言いつつも、もはやApple Storeの3階だけは、

オーガニックなハイセンスに満ちた空間でした。


渋谷は嫌いだの新宿はなんだのと、

街で好き嫌いを区別するのって結構大変だよね。


俺っていう人間のキャパに対して街は明らかに大きいから、

人ごみでゴチャゴチャした街でも、

あるビルのある一室ではとんでもなくステキなイベントがあるかもしれないし、

錆びれた地下のライブハウスではすげーいい音がなってるかもしれない。


そういう意味でもマス的に物事をとらえる癖は、

辞めたほうがいいね。

大体、そんな見方って俺のものではない。

誰かに植え付けられた視点。

確かに社会を生きる以上、他の振る舞いに無意識でも影響を

受けていくのは当然だとして、

でも、ちゃんと一個一個見ていくほうがいい。


意識して言い換えたほうがいい。




NAKIさんを筆頭に、

サーファーってのはホントにゆるりと生きている。

プレッシャーとはほど遠いナチュラルなスタンス。


でも俺は意外と、彼らも真剣勝負を繰り返しているのだろうと思う。

誠実に生きている。

マジメに生きている。

ナチュラルな生き方ってのは絶対マジメじゃないとできないでしょ。


そうやって世界を切り取ったNAKIさんの写真は、

確かに僕らが海を通して出会う、もしくは出会いたい、

あの感覚を持っている。

あ、これさえありゃ最高だ。

っていう、冷静だけどドキッとしちゃうあの感じ。



写真を撮って、ブログを書いて、

映像をつくって、サーフボードをつくって。

NAKIさんは楽しそうに自分でメディアを切り盛りしている。

その影響力はとても大きく、

世界中の素晴らしいサーファーを巻き込みながら、遊んでる。

もうDIYに生きていくことを体で知っているんだな。


けど話す感じはとてもゆるやかで、

風になびくような優しい声。


不思議な人だ。

力を抜いているんだけど、よく切れる刀。



俺はそんな禅のネーションの中で、

仕事をしていけるほど器用じゃないし、

最初のうちは硬い岩のようにしか働けないかもしれないけど、


海に入ってファインチューニングしたいね。



いつか水中撮影したいなぁ。

2010年9月24日金曜日

毎日ほぼ一册の本と出会え





最近、9月の頭くらいからかな。

平日はほぼ毎日、

ほぼというあたりに甘さを大分感じてしまうけど、

ISIS本座(http://www.honza.jp/)という読書をもっと楽しむためのポータルサイト上で、

一冊の本を取りあげてそれに関するレビューというか、

俺との関わりや思ったことをツラツラと書いています。

題して「ほぼ册」。ほぼさつね。

どっかの新聞と名前が似ているけれど、あしからず。

無料登録すればだれでも書き込めるし、

本棚をつくったり、他の人と意見を交換できる。

1人で本を読んでないで、他人との関わりのあいだに本があると、

かなり楽しくなる。

気になった人はぜひ!



夏休みはこれといって旅行したりしてないなー。

就職活動とイベント「Free Your Soul」が大半を占めつつ、

最近はもっぱら本を読んでる。


松丸本舗という丸の内のオアゾの中にある本屋さんで、

ちょっとお手伝いをさせていただける機会を得たことも大きい。


けど、本ばかりな自分みたいなもの。

なんだか、そういう自分に対して若干抵抗を感じることもある。

てかあった。

たくさんの人に共通するかもだけど、

家で本ばっかり読んでないで外へ出ろ!

みたいなね。

寺山修司じゃないけど、

そういう感覚って俺にもある。

なんだか「書」と「街」がスゴく対称的な、

内側のやりとりと外部との関わりとも言えそう。


けど、そりゃ本ばっかり読んでちゃダメに決まってる。

いや、ダメっていうとちょっと言い過ぎかもしれないけれど。

大事なのは本も読むことだし、外へも繰り出していくことだ。

スゴく単純な考え方だけど。

でも食事に例えれば、肉ばっかり食ってたらやっぱりバランス悪いから、

野菜も食うしソバも食うし寿司も食うし焼き魚もカレーも食う。


本だって同じで、

SFも読めば新書も読むし、村上龍を読んだり脳科学につっこんでみたり。

知識がつくとか、役に立つとか、

そういう生産的なことを読書に求めることもけっこうだけど、

逆にそれが敷居を高くしている気もする。

まぁそんなのさっさと超えてしまえばいいけどね。


いま俺が考えているのは、本を読むって未知のジャンルにズカズカと踏み込んでいくことだと思う。ようは関係性をつくること。

今までの人生では、生物学や後期近代社会学なんて、縁もゆかりもなかったけれど、

一冊の本をきっかけに、どこか自分との関係性ができる。

わかったつもりになるわけではないけれど、

まさに無知だったものが未知になる。

無知はマザーテレサがいうところの「好きの反対は無関心」。

もう壁をつくってしまう。

政治?カネ?しらねーよ!

クラブ行って踊ってりゃハッピーなのさ!状態。

クラブを否定する気はないし、

確かに全てのことに関わることなんて簡単なことじゃない。

けど未知は少しでも壁を取り払ったり、

隙間からむこうの世界を覗こうという状態だ。

それはわからないかもしれないけれど明らかに興奮している。

面白いよね。

俺は一生のうちにひとつのことを貫き通すんじゃなくて、

色んなことを広く扱っていけたらいいなーと思っているから、

今ぬるぬると、少しづつ領域拡大を試みとります。

数年やったらなんか小さな光くらいは見えてくるかもね。


まぁ継続は力なり的に、

マジメに遊びながらやっていきたいです。

親父が言ってたんだけど、

「ものづくりはマジメなやつにしかできない」って。

そうかもしれないね。

不良とかバカとかそういうことじゃなくて、

つくりたいものに対して寄り道したり脇にそれたりしながらも、

全部つくることに還元しちゃうヤツじゃなきゃムリだよ。

矢沢永吉だって自分のことマジメなヤツだって言ってるくらいだし。



ちゅーことで、

9/4日から今まで書いたもんをいくつか載せるわ。

よく書けたヤツもあれば、

全然ノッてこなかったのもあるけど、

気になるヤツがあれば読んでくれ。

そしてちょっとでも気になったら、

すぐに読めなくても思い切って買ってしまったら良いと思うぜ。


9/4「単純な若者、複雑なオッサン」

『凡人として生きるということ』押井守


9/5「遠い国から、ユルい愛」

『テルマエ・ロマエ』ヤマザキマリ


9/10「鮮血したたるブーブーちゃんの軌跡」

『世界屠畜紀行』内澤旬子


9/14「右手に剣を。左手にタバコを。」

『タバコ狩り』室井尚


9/22「もはや職人は最先端」

『森と生きる』稲本正



書いたら日々ツイートしとりまふ。

2010年8月20日金曜日

アウトオブコントロール



イベント、「Free Your Soul」。

無事終えることができました。




ガッツリとブログを書こうと思っていたのですが、

予想以上に言葉みたいなものが出てきません。


そして思っていた以上に、達成感みたいなのはありません。

いやそりゃなにを成し遂げたわけではないから勿論なんだけど、


それよりあの場が楽しかったことが今でも心地よいです。




印象的だったのは、みんなスゴく話してたなーってことかな。

それぞれのコミュニティにしろ、あの日初めて出逢った人にしろ、

ライブが始まってからもフロアの中では話し声があんまり途切れていなかったっていう。

それはいい意味でも悪い意味でもね。

イベントの引力が弱かったのか、それともみんなが各々のスタンスで「場」を楽しんでくれたのか。

というかFree Your Soulと題した時点で、

主催者と来客の壁を壊した雰囲気が生まれたのかもしれないね。


ただ俺も話足りない部分が多くて、

もっと色んな人と色んな話をしたかったけど。

それはまた別の場で、ゆっくり飲みながらでも。




やっている最中から反省点ばかりが目立ってきて、

上手く出来なかったんじゃないかって思っちゃうんだけど

(ネガティブ思考?現実的?)、

けど、面白かったっていう感想をもらえると、

あぁ良かったなーとも思う。



あ、写真ほとんど撮れなかったから、

もしなんか撮ってる人いたらぜひわけてくださいな。



イベントの中で俺個人の想いとしては、

消費者ではなく生産者になろうと、

そういうことを表現したつもりなんだけど、

それ以上に教わることのほうが多かった。

色んなヤツがいて、各々のスタンスで生きていて、各々の問題意識、盛り上がり、雰囲気などなど。

つまりFree Your Soul。


僕たちの世界観はこうです!最高でしょ!?なんでわかんないの!??

っていうオナニーイベントにはしたくないなと思ってたけど、

みんなの話したがりーの雰囲気ではそんな風になりようもなかったのかな。

正直いって当日の場は完全にお客さんがつくってました。

間違いなく。


全知全能の神にはなりたいと思ったことないけど、

自分が主宰するイベントくらいは思ったストーリーになるんではと勝手に想像してたけど、

もう全然。

イベントとはそういうものなんだと。

それぞまさに有機性。

オーガニックへの理解を深めたフリーペーパー「Organique」編集長の俺。


アウトオブコントロール。

そこから生まれる喜びに似た何か。


だから面白い。

神様なんて何でも知りすぎててつまらん。

居てくれる分には構わないけど、

自分がなりたいとは思わない。

俺は自分で知っていきたいかな。




また開いて欲しいという声もいただけて嬉しいです。

今のところは、イベントもフリペも、またつくる予定はありません。

予定がないというか、そういう話は全くしてなくて、

とりあえず今回のイベントを形にすることが重要だったので。

メイン主催者の峻が来月から1年間渡英してしまうこともありつつ、

夏休みだからできたんだという雰囲気もちょっとある。


ただ今回の繋がりはこれからもどんどん使って、転がって、走っていきたい。

むしろそこのあなた。

一緒に第2回やろうよ笑



トシの「農Music, 農Life」はもちろん、

リュウの「HyogenFestaGallery」など、

イベントを仕掛けている人間たち。

でもそれ以外でも勿論繋がりたくて、

音楽、映像、写真、イラスト、詩だけじゃないぜ。

ファッションでも新聞でもテレビでも政治でも出版でも自動車メーカーでもなんでも、

ロールが大事じゃなくて、

そのロールの中で何を創るのかが大事だ。

ファッションはファッションの世界で生きればいいんじゃない。

それと他の世界がどうやって関係性を持てるかが大事だ。

政治家とロックンローラーはもっと対話すべきだ。



社会に出ても、どういう形でも、

自分の刀を磨きながら、

いやまず俺はまだ自分の刀を持っていないか。


とにもかくにも、

仕掛けていきたいです。

面白い未来は確実に来ます。

なぜなら創るからです。

これ最強だよね。ないものは自分でつくる。

こういう人間で在りたいな。



乱雑な文章ですいません。

とりあえず雑多な今の想いと、

イベントが終わったことの感謝とを、

伝えたかったのです。


ありがとう。

これからも、もっとよろしく!